希野正幸のインフォブログ

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2019/06/20(木)今の政治状況と、今後の世界の方向性について

今、政治のふがいなさに憤り、体制の変化を渇望している人たちは、少なくないのではないでしょうか。

しかし、ざっと見渡しても国政レベルにロクな政治家がいないのは、ご存じのとおりです。

せいぜい、まあこれくらいなら許せる悪かもな、という程度が、与野党を問わず今の政治家の最良レベルです。

したがって、国政の変革による社会の適正化という方向は、その担い手すら想像できないという、先の見えない閉塞感にとらわれます。

ですが、心配はご無用です。

なぜなら、新しい時代の政治は、国政が主役にはなりえないからです。

今の首相や大統領、あるいは国家レベルの議会が、集中的に権力を握って支配するような政治形態は、急速に力を失って行き、遠くない将来に崩壊することでしょう。

首相や大統領に似た職務は残るかもしれませんが、あくまで全体の調整役に過ぎず、今のように一部の人間に権力が集中することはなくなるでしょう。

 

日本を含め現代の政治の主流は、民主主義体制だと言われています。

しかし、その本質は、民主主義に名を借りた専制主義にほかなりません。

国民が選んだ国民の代表、国民の代理である議員が、さらに自分たち議員のリーダーを選出するというような統治形態は、責任逃れをルール化して、一部の人間が大衆を意のままに支配する道具と堕してしまっています。

もともと民主主義は、小さい人数の組織単位で機能する意思決定手法であると言われています。

それを国家のような大きな単位に適用するのは、もともと無理があったわけです。


そして、民主主義を巨大なレベルに拡大した時点で、意識的あるいは無意識的にさまざまな欺瞞が入り込むことで、社会や共同体へ民意の反映をするという本来の目的から遥かに遠ざかって、醜悪な大衆管理の手段に貶められてしまったわけです。

しかし、だからといって国家という枠組みをなくしてしまうと、みんな好き勝手にやって収拾がつかなくなるとか、国家としての統一性が失われると、より統制された国家に侵略され滅ぼされてしまう、という論理が国家を維持するモチベーションになっているのではないかと思われます。ですが、そのあたりについても、徐々に問題にならない方向に、社会全体に変容していくでしょう。

その理由を簡単に言うと、これからの世の中では「好き勝手にやる」という個人個人の欲望に根差した行動を、人類全体がとらなくなっていくと考えられるからです。

それに伴って、国家間の侵略戦争が起きる余地がなくなって、国家という固い殻に閉じこもって、身を守る必要もなくなります。

何故そうなるかということについては、長くなるので省略しますが、あえて一言でいうなら、人間の意識の変化がそうさせる、ということになるでしょう。

日本の第二次世界大戦後の社会をみると、多少、その片鱗を見ることができます。

 

現在の日本の国家の枠組みは、世界のほかの国に比べると、かっちりしておらず大変ゆるい感じがします。

 

まあそれが、日本がアメリカの51番目の州だともいわれるゆえんですが、そこのところはいい方に解釈しておきましょう。(笑)

 

日本という国は、戦後アメリカの傘の下で、侵略戦争に備える心配をせずに経済発展を遂げたことで、国家を防衛する必要性が薄れたことや、その結果、物が豊富になって、個人個人の欲望が物から別の何かに変化した結果、もともと集合的な意識を強く持った日本人は、だんだんと個人の欲望を最大限に追求するような行動をとらなくなってきています。

いまの到達レベルは、最終形態のほんの1~2%くらいに過ぎないかもしれませんが、問題は達成した量ではなく、中身にあるのではないかと思っています。

それは、やればできるという証明にもなっており、あとは何かのちょっとしたきっかけで、規模の拡大を待てばよい状況にあると考えます。

そして、経済リセットがその引き金になると私は期待します。

理想の社会は、精神世界では、すでに達成されていて、あとは現実世界への反映を待つのみという段階にきているのではないでしょうか。

あともう少しで、素晴らしい世の中が到来するはずです。楽しみに待ちましょう。