希野正幸のインフォブログ

興味を持った情報を選んで発信しています。

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特殊稿 ― バビロニアン・タルムード(1)

 カソリックキリスト教聖職者の小児性愛犯罪の問題が隠しきれなくなって、浮上し、度々記事として上がってきています。キリスト教聖職者などの小児性愛行為の事実そのものは既に確定していますが、秘匿されてきたこの問題の背後に何があるのか?
 「幼き少女は、成人男性のための汚れなき餌食である」「未成年の妻、非ユダヤ人の妻との不貞は許されるとしている。」「男の子供は自分の母とセックスしてもよい」「3歳の異邦人幼女とのセックスは認められる」。これら小児性愛等異常性愛を勧奨するこの驚くべき記述は『角笛』というサイトで「タルムード」の中の一節だとして挙げられています。これは間違いない事実でしょう。
 「タルムード」はユダヤ教聖典として位置づけられていますが、キリスト教聖職者などの小児性愛の犯罪行為は「タルムード」に基づくものだったのでしょう。小児性愛犯罪はキリスト教聖職者だけではなく、ペドファイル事件として、政界や経済界ハリウッド関係者など社会の支配層上層部の名士に拡がっています。これは宗教界のカソリック教会のみならず、政界や経済界といった社会を牽引する支配層組織上層部の奥深くに「タルムード」が浸透していた事実を示すでしょう。
 「ユダヤ問題のポイント」に取りかかって1年となりましたが、「タルムード」に現れている問題こそが、ユダヤ諸問題の根本に当たると言っても良いでしょう。つまり古代、中世、近代、現代に関わらずユダヤ問題の背後には、「タルムード」に現れている問題が潜んでいるという意味です。

(seiryuu)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特殊稿 ― バビロニアン・タルムード(1)

a. 一つの事実の物語

「新たな世界を切り拓こうとする大いなる夢をもつ男がいた。彼は仲間を集いその大いなる勇気をもって航海に向かった。未知の海、危険な海、その荒波を抜群の知恵と行動力でくぐり抜け苦難の末に彼は見知らぬ世界へとついに到達した。

しかしその新世界でも次々と危機が襲う苦難の連続だった。危険な野獣との遭遇、そして何よりも野蛮人たちが卑劣にも徒党を組んで襲撃してきたのである。これらの危機をすんでの所でかわし、彼は遂に秘宝を発見し祖国へ持ち帰ることに成功した。」

b. 一つの事実の描写

「ある日何の前触れもなく見知らぬ男たちの一団が海からやってきた。村の長老たちはどう対処すべきか話し合ったが慣例に従い“客人”として迎えることになった。

しかしこの“客人”たちの行動は我々にすれば理解も容認もしがたいものであった。彼らは手当たり次第に我々の仲間である鳥や動物を無駄に面白半分に殺し回り聖地を荒らした。彼らは“何か”を探しているようだった。その“何か”はほどなく分かった。彼らは我々に“金”を手渡すように欲求したからである。我々は“金”を手渡した。しかし彼らは満足した様子はなかった。

そして更に・・・、彼らの一人が我々の村の男の妻に襲いかかったのである。笑いながら。村の男は妻への行為をやめさすように立ち向かった。その時“パンパン”と耳をつんざくような大きな音が轟き白い煙が上がった。村の男は倒れた。見ると村の男は既に死んでいた。あっけに取られた我々を尻目に彼らは村の女を連れ去っていった。彼らはやはり笑っていた。

我々は彼らに抗議し村の女を取り戻すために集団を組んで彼らのところに向かった。するとまたもや“パンパン”との音と同時に次々に仲間の男たちが倒れていった。そして彼らは集団で村を襲撃してきた。私はそれを阻止しようとしたが突如肩口に焼けるような衝撃を受け意識が遠のいた。妻と子の助けを求める声が遠くにかすかに聞こえていた・・・。」


残虐行為を支え促す「タルムード思考」 ~「タルムード思考」の思考マジック


ウィキペディアクリストファー・コロンブスの記事に目を通していく中で、“おや!”と目が止まった箇所があります。
一般にコロンブスは「アメリカ大陸最初の発見者」とされます。現に私たちは歴史の授業でそう教えられ、テストでこれと違う回答をすれば“×”の評価が下されたのです。

ところが記事には、コロンブスの“発見”について「“発見”という言葉自体がヨーロッパ中心で世界を見る視点に立脚した発言」、つまり不適切で“おかしい”と評価しているのです。公平に見てこのウィキペディアの指摘通りではないでしょうか?

「発見」の言葉の裏には西欧?文化圏の「自分たちのみが文化人で優れており、それ以外は未開の地なのであってそこには野蛮な生物しかいない。」との見方があったでしょう。西欧からの侵略者の行動の事実がそれを示しています。

アメリカ大陸の先住民やアジア、アフリカの民衆を当たり前に殺戮・強姦・奴隷対象とし、その土地にある全ての物を略奪対象とした事実です。
ここには「未開の地、野蛮な生物を相手には、殺戮、強姦、略奪してもよい。ただし、これは我々だけの秘密である。」との思想が働いていたはずです。

この思想を「タルムード思考といいます。おまけに、彼ら侵略者はその思想のもとの行動を「是」だとして世界中に植え付けてきたのです。

現に世界の教科書ではコロンブスやガマは偉人と教えられます。書籍等で世界に流通してきた西欧人の海賊行為の物語とは、上に記した「a. 一つの事実の物語」のようなあらすじの内容ではありませんでしたか? 海賊行為という一つの事実を美談、冒険物語、夢物語として語られてきたのです。

しかし、同じ海賊行為という一つの事実、これを逆に「侵入された側」の視点から事実を描写すると、上に記す「b. 一つの事実の描写」のような内容となるでしょう。

事実は一つです。しかしそれを表現する内容は180度異なったものになります。「侵略者側」の一方的な視点で都合良く「創作」された物語は世界に広く流布し、殺戮・強姦・略奪された側のその事実は一切世界に知らされることなく封殺されてきたのです。

事実を隠蔽して、その内容をすり替え創作して、「正義漢・ヒーロー」に「成りすましていく」、この思考回路もまた「タルムード思考です。自分に都合の良いすり替えを行う思考マジックです。

編集者註:戦争犯罪者がホロコースト”のシャワーを浴びてヒーローに

社会の上層部に浸透する「タルムード」 ~植民地奴隷支配を推進させた「タルムード思考」


冒険家・探検者・航海者などの名前を借りた「タルムード思考」の海賊、彼ら「侵略者」の殺戮・強姦・略奪の残虐行為を、公的な形で「是である」として「お墨付き」を与えたのがキリスト教会です。

ウィキペディアローマ教皇ニコラウス5世は「1452年、ポルトガル王アフォンソ5世に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えている。さらに1455年には教皇教書を出し、異教徒の土地と物品を所有する権利をポルトガル王に独占的に認めた」とあるとおりです。

アフォンソ5世は、キリスト騎士団総長エンリケ航海王と親族であり、テンプル騎士団と無関係であるはずがありません。海賊となったテンプル騎士団と、彼らの侵略行為を「是とお墨付きした」キリスト教会の行動原理・律法は、次のタルムードの教えで表現できるでしょう。

🔯「犬は異邦人より勝れたるものなり。」
🔯「汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人にあらず。」
🔯「ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。」
🔯ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。」


まず、宗教騎士団であるテンプル騎士団ですが、彼らの宗教はキリスト教ではありません。当時カソリック教会は「金貸し」を禁じていたはずです。それにも関わらずテンプル騎士団が「金融業」を行っていたことからも、彼らがキリスト教徒ではないのは明らかでしょう。

彼らの宗教はグノーシスでありカバラです。同時に彼らの多数が「タルムード」を聖典にしていただろうことは明白でしょう。

フリーメーソンの儀式でのバフォメット
Author:Leo Taxil [Public Domain]


いずれにせよカソリック教会から見れば“異端”です。しかし、そのカソリック教会のトップそのものもどう見ても“異端”です。「タルムード」の教えに基づいた海賊行為、それに対してキリスト教会トップのローマ教皇が「是としてお墨付き」を与えているのです。

ローマ教皇の名称と肩書きはともかく、問われるのは内容なのであって、それは行動の事実そのものであり、その行動の動機です。事実を見れば、明らかにローマ教皇自体が「タルムード思考」に基づき行動しているのであって、そこから判明するのは、彼の聖典新約聖書ではなく「タルムード」だと言うことです。

タルムードはユダヤ教聖典に位置づけられます。(ただしそれは一般ユダヤ教徒というよりも、ユダヤ教ラビの聖典といえます。)ところが、そのタルムードが、カソリックの最上部の奥深くに浸透しキリスト教会を侵食していたわけです。そしてそのようなタルムードの浸食はカソリック教会だけではありません。あらゆる社会の支配層組織の上層部に浸透し、世界を動かしてきたのです。その構図は現在まで持続してきたのです。