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プレアデスからのメッセージその30 煩悩に支配された状態から煩悩を使いこなす状態へ

プレアデスからのメッセージその30 煩悩に支配された状態から煩悩を使いこなす状態へ

  地球解放の主要ファクターは銀河連合による諸活動であり、これらの活動に対する直接的支援となるコブラなどによるExopolitics的活動すなわち、タキオンヒーリングチェンバー、ライトマンダラ、各種タキオン鉱物の設置によるエネルギーグリッドの整備と集団瞑想による光の勢力に対するポジティブエネルギーの供給が地上のライトワーカーの主要活動であることは言うまでもありません。

  しかし、公言はしていませんが、コブラは、イベントが遅延している理由として、ライトワーカーたちの準備不足を暗に仄めかしているのを時折目にします。自らのメンタルの問題に気づかずに放置して仲間割れや精神的不調により、キメラやアルコンが栄養源として利用しているネガティブエネルギーを大量に放散し、みすみすこれらの闇の首魁たちを利しているライトワーカーが少なくありません。

  地味ではありますが、自らのメンタルのメンテナンスを地道に行い、ネガティブなエネルギーを極力発生しないようにすることはライトワーカーのもう一つの大切な務めです。

  バーバラ・マーシニアックがプレアデスからのメッセージを纏めて1992年に出版した「The Bringers of The Dawn 夜明けをもたらす者」(大内 博氏の邦訳は「プレアデス+かく語りき」と題して2004年に出版されている)は、ライトワーカーがいかに自身の内面と向き合い、自らの内に光を発生させて地球人たちの“夜明け”となるかが示唆に富む文章で記述されています。

  皆さんの精神の闇に向き合い、自らの精神の内に光をもたらしていただくためにほんのわずかでもお役に立てればと思い、時折、バーバラのこの著作から鍵となる文章を紹介するとともに、若干の解説をブログ記事として連載させていただくことにしました。ご参考になれば幸いです。

 連載第三十回の鍵となる文章は以下のとおりです

 肉体を意のままに制御し、意のままに動かし、停止させたりできるようにならなければなりません。自分自身の中に入り、感情的にであれ、肉体的にであれ、癒す必要のあるものを自分の力で癒すことを学ばなければなりません。自己のジャングルに分け入り、開拓地を切り開き、他の人たちの道案内をしてあげなければなりません。話をするのではなく、ただあなたの周波数を維持し、その周波数を生き、その周波数の改善に取り組み、そうする勇気を示すだけで、他の人たちの道案内になることもあります。
(バーバラ・マーシニアック著、大内 博訳「プレアデス+かく語りき」太陽出版128ページより引用)

 私の経験上の話であって、実際に本当のことなのかどうかは分かりませんが、ブッダのいう悟りとは煩悩=苦しみ(ドゥッカ)の発生源である肉体的私とは別にある別次元の私に気づき、そちらの方に私の意識の重心を移してしまうということなんだと思います。

 で、こうやって肉体的私から私の意識を外して別のところに置いておくと確かに私から煩悩はなくなるように見えるのです。ブッダはこの煩悩がろうそくの炎が消えるようになくなってしまった状態を涅槃(ねはん)と呼んだわけですが、私はそうは思わなかったのです。

 煩悩が消えてなくなったわけではないと。肉体的私から外に出た別次元の私は確かに煩悩を全く感じないのですが、目の前の肉体的私として煩悩そのものが確かに現前していると感じたのです。煩悩そのものがなくなったわけではない。ただ、その煩悩という現象から外れただけだと。煩悩から自由になっただけだと感じたのです。

 で、私はそのことに違和感を覚えたのです。煩悩から離れてそれを高みの見物している私は愛ではないと感じたのです。それは安らかではあるがあまりにも冷淡であると感じたのです。

 それで私は肉体的私と、煩悩そのものである私を抱きしめに行った。共にあろうとしたのです。

 そして煩悩であるし煩悩でもない私になった。煩悩を自分ではないもののように扱い、煩悩を拒否する私から煩悩をありのままに認める私になった。

 これは悟る前の肉体的私に完全に支配されていた私とは違います。煩悩に引きずり回されてはいない。煩悩は制御できています。でも、煩悩を否定はしていない。いわゆる煩悩から離れてしまった涅槃ではない。ちょっと言葉にするのが難しい状態です。

 煩悩から離れるととにかく楽です。でも、無欲なんで創造的行為ができなくなるんです。よくよく観察してみると何か事をなす時には必ず欲望が必要なんです。前に進もうとする推進力が必要なんです。

 娑婆(世俗的社会)で仕事するにはどうしても欲望が必要なんです。これがないと仕事になりません。また、ブッダのいう涅槃に至る修行だって最初のころはこの欲望を使わないとうまくいかないものなのです。ブッダだって「苦しみから脱したい。」という欲望を最初に抱いたから涅槃に至る道を見出すことができたのですから。

 涅槃=出家、煩悩=娑婆といった図式になりますかね。煩悩に支配された苦しさから脱するには涅槃に至る必要がある。でも、涅槃に至ってみて、涅槃と煩悩が別々に存在しているというのはなんか二元的で違和感を感じたので、私は涅槃と煩悩を一緒にしてしまったのです。つなげてしまったのです。

 案外これは塩梅(あんばい)がよかった。決して煩悩に支配はされないが煩悩の中の欲望という便利な道具は使いこなせるようになった。出家でも娑婆でもどっちでもやっていけるようになった。いわゆるグラウンディングできるようになったということでしょう。

 太極ってご存知ですか?
 こんなやつです。

 

 で、地球人に関与してきているポジティブな宇宙人にしろポジティブな地球人にしろ、この太極の白い方がソースであってこれだけがいいんだって言ってるように私には思えるのです。白が光で黒は闇だって捉え方しかしていないような気がします。

 でも、白と黒が抱き合って組み合わさったものが本来のソース、ワンネスのソースじゃないかと思うんです。

 煩悩に支配されているのでも、煩悩から離れているのでもなく、煩悩を抱きしめている状態。これがいろいろな次元を移動しながらクリエイティブな仕事をしていく上で一番素敵なポジションではないかと思います。まあ、人によって考えは違うでしょうが。

 プレアデス人が言っている肉体を意のままに動かすって結局のところ煩悩すなわち欲望を、それに支配されることなくそれを支配して上手に使いこなすということなんだと思います。それで、物質世界の地球で光のワークをするということなんだと思います。

 どうも説明が難しいのですが今日はこの辺で!