希野正幸のインフォブログ

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繊維派と金融業のタペストリー分析(3)

さて前記事で皇后として輿入れできる家柄である四品資格の松平があやしいと書きましたが、それは松平分家ではないが松平姓を与えられた四品(四位)以上に昇進する格式ある外様大名

それは、、、、前田氏、伊達氏、島津氏、毛利氏、黒田氏、浅野氏、鍋島氏、鍋島氏、蜂須賀氏、山内氏。

島津氏近衛家荘園の荘官となって、源頼朝御家人となり九州の守護職を与えられた。この時、毛利も鎌倉幕府御家人になっている。蜂須賀氏も蜂須賀党の棟梁であり、前田氏に至っては出自すら不明。

徳川家自体が客家出自であり、彼らはその仲間の客家。九鬼も真田も柳生も皆客家、、、これが緑のカラスですが、背後には古くからイエズス会がケツモチとして存在。関が原の戦いで西軍に付いた島津、毛利が領地を減封されなかったのは、客家仲間であるが故であり、実は最初から徳川側に付いていたからであろう。

体よく嵌められたのは石田三成ですね(ふふふふ)。

っていうか、客家が日本にイエズス会を連れてきたのだから、この繋がりは当然といえば当然ですね。島津家が欧州に派遣しキリスト教を学ばせた山伏(修験道)・鮫島圓成坊がアンジロー(ヤジロウ)という日本最初のキリシタンとなって、ザビエルと共に日本にやってきた頃からの付き合い。

カソリックイエズス会=スペイン・ポルトガルからプロテスタント=オランダに乗り換えた徳川将軍家とは裏腹に、先の客家家系はその後もイエズス会がケツモチとして維持。明治維新時には反徳川家の位置に据え置かれた水戸徳川家の血を引く慶喜によって、江戸幕府大政奉還され幕引きされましたが、客家朱子学に染まった水戸徳川家が影で糸を引く形で明治新政府は樹立された。これも正反合のリスク分散の賜物で、現在も徳川家は安泰。

実際、日本最後の関白である二条家当主・二条斉敬は二条斉信と徳川従子(水戸藩徳川治紀の娘)の間に生まれており、このラインで多くのことが決められたのであろう。

そして、明治天皇水戸徳川公爵家に何故か赴いている。その際に隠し撮りされたのが下記の写真。

明治天皇

天皇家の裏には徳川ありなのだす。

■菊紋の下からズキューーン葵
http://tokumei10.blogspot.jp/2013/09/blog-post_6144.html

■旧皇室本家・・・仏教を奉じる北朝(唐様)
■現皇室分家・・・徳川家
■現皇室本家=本来の日本の皇室(和様)


そういえば、語り部天皇家縄文系になった語っていたな。江戸時代には生前に天皇と呼ばれた者は1人もおらず、「***院」という仏教形式で呼ばれ、死後、贈り名として天皇号を付加されたに過ぎず、天皇制が昔からあるというのは明治期に作られたインチキ神話。天皇という用語自体が道教用語であり、自分から天皇と名乗ったのは道教に傾倒し「天渟中原瀛真人」と称した天武天皇を系等、つまり文武~聖武天皇であり、京都・泉涌寺に祀られていない者たち。ただ、この家系は長屋王を最後に途絶えてしまったわけだが、、、、

さてさて、上記の客家たちが日本を支配するには金の流れを掌握する必要があったわけですが、江戸時代までは仏閣が支配し、それを京都の朝廷が握っていたわけです。それ故、明治維新では廃仏稀釈で仏閣が持つ特権を悉く剥奪する必要があったのですね。江戸時代になって関東は徳川家が経済を握ることになっていった。西日本では「銀」、東日本では「金」が流通し決済の主流になっていたのはこの影響かもしれません。

つまり、金融を握っているのが、この国の真の支配者ということになる。

そういう観点から日本の金融業界を覗いてみる。

昨今、東京・大阪に本店がある銀行、所謂、都市銀行の再編は三大メガバンク化で一応収束し、現在は地銀、第二地銀のグループ統合化が進んできている。関東では横浜銀行東日本銀行(常盤無尽)が合併して出来た「コンコルディアFG」が有名ですね。しかし、グループ化が最も進んでいるのが実は九州。その背景には少子高齢化が進み人口減があるからだという。

下記のグループに統合されてきている。

まぁ、オイラが揶揄ったグループ名称を付加しましたが、いづれも「松平」姓を賜り、キリスト教を奉じた客家家系の大名家がバックに控えているのではないかと睨んでのことです(笑)。


■薩摩島津ファイナンシャルグループ
薩摩


■細川/鍋島ファイナンシャルグループ
鍋島FG


筑前黒田ファイナンシャルグループ
黒田FG


この筑前黒田FGこと「西日本シティ銀行」の前身である「西日本無尽」は、かつて戦時統制化で戦費調達の為に全国の無尽会社を西日本、東日本で大合同した時の西日本側の統合先。一方、東日本側は「大日本無尽」に集約化、こちらは現在、三井住友銀行となっている。

大日本無尽02

この西日本、東日本の集約先にも統合されず、独立を保ったのが「七福無尽」。元は神戸市内にあった8つの頼母子講が統合して出来たものですが、その8つのうちの1つが他の講の資金元であり、地下家の押小路を通じて加賀前田家が裏の金主。現在、三木無尽の後継である兵庫銀行を統合して「みなと銀行」として存在している。

以下が名無し先生が高度自給ブログさんで書かれた内容。

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洞察に優れた面白い考察をされておられますね。笹川も大本も日本国の歴史を彩る大きなファクターである事は、間違いありません。しかし両者ともに日本国を中心に権益を有する、より大きな存在のほんの一画に過ぎないのです。それに比して前田家は、それらの勢力から独立した別の位置づけを持っています。日本国の銀行制度が確定的になる前の時代に、無尽という制度が御座いました。数々の戦争勃発に伴い、これら無尽を国策として統合していった時代が御座います。このプロセスで東西に大きな2つの無尽が誕生いたします。東側は現在の三井住友になるわけです。この2大勢力から独立を維持した神戸を中心とした七福無尽というグループが存在します。山陽地方の三木無尽から福井県まで、四国の高知県までを含んで拡大いたしました。この七福の起源は8つの頼母子講から成っておりました。内の一つが全体の資金元で、これが前田家にあたります。

この動きは金融界のみに留まる事ではございません。明治、大正期より全盛を極めた日窒コンツェルンの資金元も、やはり前田家なのです。古くよりイエズス会との付き合いで蓄えた財が、様々な形で現在まで引き継がれております。日窒コンツェルンについても、大戦後に解体された体になっておりますが、現実は大きく異なります。戦時中には、肥料、化学繊維(人絹)、火薬などを製造していたわけで、現在で言うなら、農業から石油化学工業まで広く国策と絡み行ってきた訳です。人絹の製造過程で発生するニトロセルロースが火薬の原料となるわけですから賢い貴殿の事、多くの説明は不要と考えます。肥料の精製過程で生じる副産物も言うに及ばずですね。ここから発生した企業に旭化成があります。旧 旭ベンベルグですね。

この勢力の東への勢力拡大は、福井県で止まっております。東側の大きな勢力が同じ前田領内の石川、富山を取り込んで、拡大阻止をしたからです。ちなみに笹川の流れは、この東側勢力の下部組織に過ぎません。また大本は、東西及び前田勢力にはじかれ、日本国で既得権を持ち損ねた卍党の一画に当たるわけです。

以上、ご参考にしていただければ幸いです。

■【ウィキで調べる暴力団(笑) 東京タワーが建てられた本当の理由】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-208.html
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この七福無尽が銀行化したのが阪神銀行であり、兵庫銀行の優良債権のみを引き継いだ「みどり銀行」を吸収合併しみなとファイナンシャルグループを形成。

■加賀前田ファイナンシャルグループ
加賀前田

みどり銀行、、、、緑のカラス、、、、(爆)

当然、今も加賀前田家の支配下にあることは、、、、

「あたり前田のクラッカー」なことなのだす~(爆)。

七福無尽は神戸発祥の無尽であることから、ここが台湾銀行と並ぶ鈴木商店の資金調達先であったのではないかと思う。三井・三菱を頭1つ凌駕した鈴木商店の大躍進の裏には、イオンの岡田家同様、加賀前田家があると睨む。

この鈴木商店は清水港の製塩業を通じて静岡清水の「鈴与」とも繋がり、この清水港の整備を主張し動いていたのが晩年の清水の次郎長

そして、もう1つの流れが、1906年野口遵が曾木電気株式会社を創立し日本カーバイド商会と合併して出来た日本窒素肥料を起点に始まる「日窒コンツェルン」。ここも前田家が金主。この前田家の居た福井~富山あたりは古代より医薬品と軍需産業が盛んなところでしたが、ここは元々、東北にいた武器である黒曜石貿易をしていた縄文人が西日本に南下してきた際、拠点を築いた場所でもあることから軍需産業が発達した。

その重要な産業の1つが火薬製造

「培養法」という乳酸菌を用いて作る火薬原料の製造で富山は知られていますね。。五箇山の合掌づくりの家では藩政時代、黒色火薬の原料である煙硝(えんしょう)が秘密裡に製造されていた。当時、火薬は硝石からしか出来ないことになっており、国内で硝石は産出しないことから、きっと五箇山製造の火薬原料を海外産と称して高値で売ったことでしょう。
※この火薬を用い濃縮度80%程度の核を水と反応させて原爆の地上起爆に使われたと睨む

これが加賀百万石の富蓄積の実態(ふふふふ)。

五箇所村

日窒コンツェルン」(野口財閥)の場合、肥料を作る際に出来る硝酸アンモニウムは火薬の原料となることこから、朝鮮北方の水資源が豊富な地で発電事業を行い、価格競争力のある肥料生産とともに火薬原料を製造して莫大な富を蓄積して巨大化。その背後で古くから軍需産業を傘下におく前田家が出資しているという構造。前田家は日本のベルファシの先鋒であり切り込み隊長でもありますが、東の北朝=源氏(地祇系)や西の南朝=平家(天孫系)とは融合せず独立を保っているが、これが七福無尽が大合同せずに独立を保った原因でもある。

この日窒コンツェルン傘下企業として有名なのは、ベンベルグ絹糸製造の旭絹織物(後の旭化成)。この人絹糸を処理するときに得られるニトロセルロースは綿火薬の原料となりますが、他には東洋工業(現・マツダ)、積水化学工業信越化学工業九州電力...等があり、主に西日本に集中している。東日本側への進出を阻まれているからでしょう。

さてさて、明治7年創業~昭和2年破綻の鈴木商店明治39年創業~昭和20年解散の日窒コンツェルンいづれも加賀前田の資金運用先として大躍進していたが、あえなく潰されてしまった。しかし、先にも書いたように前田家の資金は日窒系の旭化成セキスイマツダ信越化学や鈴木系の神戸製鋼帝人J-オイルミルズIHI双日...等に流れている筈ですが、ここは三井、住友、三菱グループにも属さない独立系ですが、しかし実態は前田系ということになる。

この旭化成「旭」木曽義仲「旭将軍」から名付けられていると言われるが、その理由が謎だと言われる。また木曽義仲と縁深い信濃が「信越化学」、旭の太陽が「太陽工業」、、、グループ会社も木曽義仲にちなむ名称になっている点から、前田家は木曽義仲の血と何か深い関係があるのか? 傍系では義仲三男は広島の向島に逃れたともいうし、武田氏に臣従した信州木曽谷の木曽義昌もいる。

木曽義昌の流れでは代々の通字が「家」

う~む、前田利「家」、、、ただ前田家の通字は「利」であり、この利家から始まっているので、前田氏は木曽義仲の末裔という線は消えない。

源氏

木曽義仲は頼朝、義経とはいとこの関係。

また戦いが福井~富山~木曽にかけて起きていることから、このあたりを支配していたことが分かる。東北の義経、関東の頼朝に対して北陸の義仲という配置になっていますが、義朝系列の義経&頼朝とは覇を競った。源氏は平家とは違い、親族兄弟間でも仲が悪いことで有名ですね。

旭将軍01

木曽家の家紋は九曜紋
これは九鬼家と同じく星を表現した客家紋であり、緑のカラスの一員であることは間違いない。

義経自体、大陸から渡来してきたという話もあり、こういった女真族鮮卑契丹...等の北方渡来民族を源氏としてまとめただけかもしれず、本当に血のつながりがあるかは怪しい。

笹紋の頼朝系列の源氏とは仲が悪いのは、このことから起因する深い問題ではないだろうか?

そういえば、三井住友建設三井不動産で起きたくい打ちデータ偽造事件。データを改竄した測量会社「旭化成建材」の親会社の旭化成まで引っ張り出して謝罪にまで追い込んでいるが、マンション建て直し資金を旭グループの持つ簿外資金、つまり前田が溜め込んだ金を出させて補償させようという腹つもりなのだろう。

そして、ゆくゆくは旭化成も三井住友の軍門に、、、とまで考えているかどうかまでは分からないが、、、、以上のようにグループ間の仲は悪いのだす(ふふふふ)。

さてさて話は戻るが、無尽とは「質屋」と並ぶ鎌倉時代に自然発生した庶民金融ですが、現在でも離島や農村部では残っているという。利息なしが「頼母子講」で利息ありが「無尽」とされていましたが、やがて無尽に一本化。第二地銀(旧・相互銀行)は政府によりこの無尽が複社統合して基盤強化され、預金者保護...等を整備して発展してきたもの。

東アジアには、韓国の「契(ケ)」、台湾の「互助会」、中国の「標会」、カンボジアの「トンティン」、沖縄の「模合(もあい)」....等、無尽と同様なものが存在する。これらは客家が東アジア各地に伝えたものなのであろう。元々の発祥は中国・唐代の三階教の中心寺院、長安の化度寺にあった「無尽蔵院」からであり、お布施等で集められた財産を広く民間に貸し出して利潤を得るシステムが、やがて民間にもシステムが普及し、大勢で小額の金銭を出し合い、必要な時やくじ引き順で一定量の金銭を構成員各員が受け取る形が日本で確立された。

無尽は戦時統制下で「1県数社主義」→「1県1社主義」→「1経済地域1社主義」という流れ統合化されて来ましたが、現在も同様なことが起きている。それが先に述べた地銀・第二地銀の金融グループ化です。裏の金主の都合で集約されるのであのような形になったのではないかと睨んでいるわけだが、、、、
※この3つの無尽グループにも入れて貰えず跳ね出されたのが、大本らの後から渡来してきた漢族。戦前には大陸に紅卍会を作り北朝のパシリとして活動していましたが、戦後には利権を貰えなかった。これ故に、ネオ満州国樹立に走り、そこであたらな利権獲得を目指して、大金を注ぎ込んで動いている。


さて、ここでこの地銀統合化の先駆けとなる都市銀行統合によるメガバンクについて考えてみる。

先に述べたように、東日本の集約先である「大日本無尽」太陽銀行太陽神戸銀行さくら銀行となって、住友銀行を救済する形の吸収合併でSMBC三井住友銀行)となった。俯瞰して眺めれば、イトマンを通じて無謀な融資を行わせて住友銀行の体力を削ぎ、無理矢理、吸収合併させた感じですが、当然、住友銀行内部にそれを意図的に行う手羽先が入って起こされたことであり、この劇的な吸収合併劇はその最後の総仕上げに過ぎない。

既に、吸収合併を想定してあの事件が起こされたのかもしれない。

三井住友FG

一時期、大合同に非参加し統合避けた「相互無尽」も太平洋銀行の破綻で、不良債権を除いた債券の受け皿となった「わかしお銀行」と三井住友(旧)と逆さ合併して「1経済地域1社」の形がようやく完成したわけです。戦前からずっとこの大統合を視野に入れて金融業界は動いてきたという感じですね。

まるで小林幸子メガ幸子になるような大成長です(爆)。

メガバンク

この三井住友の前身は第一国立銀行ですが、一旦、合併したにも関わらず合併した勢力が「互いに反発し合い、効率が著しく落ち込んだ為、分割化に踏み切った。

これが現在の「みづほ銀行」「三井住友銀行」の二大メガバンクですが、オイラは藤原摂家南朝派・北朝派だと睨んでいる。まぁ、基幹の住友銀行は三井=北朝に乗っ取られて吸収されてしまったが、、、

そして、残る1つのメガバンク、、、、

東京三菱UFJですね。

東京三菱

ここは水戸藩水戸徳川家)の金庫番・川崎財閥尾張藩尾張徳川家)の御用達商人の「いとう呉服店」の伊藤銀行が合併しれいる。東京銀行天皇資産の運用を任された横浜正金銀行の後継。また川崎財閥は岩崎家と婚姻関係にあり、三菱と川崎は仲が良い。

そして最大の謎解きは天皇家の裏側は三菱であるということ。
つまり、三菱とは徳川維新家(水戸・尾張)の御用達商人であり、三菱=徳川=天皇家だと睨む。

実際、マーク自体、同じ臭いがします(爆)。

三脚巴
客家ペリシテ臭が漂うシンボル)

(長くなったので次回に続く)