希野正幸のインフォブログ

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コラム:競争から協調へ向かう世界

「生物の本能なので競争は必然」は真実?
 この世は弱肉強食、生物は自然淘汰、人間は食物連鎖の頂点で万物の霊長といわれています。 私たちは普段何気なく競争することが自然で、物事を解決する真理と思ってしまいがちです。

 でも事はそんなに単純なのでしょうか?

 今の地球の現状は、人類が競争本能を発揮しすぎて個々の利益を追求していった結果、全体としての非効率性が大きくなって、ついには環境の悪化によって生存が脅かされるところまで来てしまっています。

社会にとって本当に効率的なのは、競争か、協調か
 競争原理が支配する世界は、一つしかないパンを争って奪いとった方が適者生存で生き残り、負けた方が淘汰されていなくなるような世界といえます。しかし現実の世界には競争以外の選択肢もあります。

 ・パンを争って奪い取る

 に、

 ・パンを相手と分け合う。

 を加えた2つの選択肢を比べると、どちらがエネルギーの損失が少ないでしょう。

 個人として見れば、その時その時の競争にさえ勝てれば、それが最善なのかもしれませんが、集団として考えると競争するより協調したほうが結果がよさそうです。
 つまり人類は、競争本能を肯定して個人性を重視するよりも、全体として協調しつつ社会性を培ってきたからこそ、種として頂点に君臨するまで発展してきたのではないでしょうか。

人は競争がないと怠惰になる?
 よく、共産主義国の計画経済の失敗を例にとって、人は自由競争がないとモチベーションが失われ、怠惰になってしまうといわれることがありますが、本当にそうなのでしょうか?

 人がやる気を出す状況は、競争に勝って物質的な報酬を得た時だけでしょうか?

 むしろそういった要素よりも重要なのは、原因と結果が結びついて努力の成果が目に見えることではないでしょうか。

 計画経済の失敗は、競争原理の欠如が主原因というよりも、硬直した計画生産によって成果が個人にフィードバックしないシステムだったことのほうが、むしろ大きかったのではないかと思います。

自由市場経済の欠陥
 また逆に、資本主義経済では自由市場と競争原理が金科玉条のようにセットで語られることも多いですが、そこには計画経済と同じようにモチベーションに関しての欠陥があります。

 現実世界では、自由市場理論で想定されていた「完全な市場」という前提が成り立っていないために、公正な競争も行われず、市場も不完全なことによって不正が横行してしまい、それが市場参加者のモチベーションの低下につながっていくからです。

 平たく言うと「金を稼ぐならズルをするのが一番、正直者は損をする」といったような世の中の風潮を作り出します。それは、まじめに努力している人がやる気を失う原因となっています。そしてその積み重ねが、社会全体のモチベーションの低下につながってしまうのです。

 完全な市場が存在しないために、必然的に不公正になってしまう競争原理を根本に据えてきた自由主義経済が、計画経済と同じように欠陥を内在しているシステムであることは明らかです。

 

 そしてそのほころびが大きくなってきた結果、ついに経済全体が自壊に向かいつつあることが、現代社会の閉塞性を招く大きな原因となっているのではないでしょうか。

競争によらない評価システム
 では、必ずしも競争原理が絶対ではないとすると、わたしたちは何をよすがにして生きて行けばよいのでしょう。

 

 最近の若者の多くは社会貢献に向かっています。その世界では競争して勝つことで金銭を得ることが評価につながりません。

 そして精神的な報酬は、競争に勝つことによって得られるものではなく、協調してゴールを達成することによって得られます。

 そのような報奨原理が主な行動の動機となる社会は、競争で相手を打ち負かして物質的な利益を得る社会ではなく、協調しつつ人々から感謝されることによって精神的な報酬を得る社会であるといえます。

 そして、人間は社会的に成熟すると、おのずと競争主体の行動原理から協調を重視する行動原理に向かっていくのではないでしょうか。

新しい時代の経済原理
 したがって、これからの新しい社会において、個人の行動を促す原理は競争ではなく協調です。

 自由競争主義に代わる未来社会の経済原理は「自由協調主義」といったようなものになるのではないでしょうか。

 

 では、仮に通貨の評価替えや、金融リセットが実現したら、その時の社会はどうなるでしょうか?

 

 2度と強制されて働かなくてよい世界、誰もが正当に評価され裕福になった世界。

 

 あまりの価値観の落差に、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。


 下手をすると、一時期社会問題にもなった、定年退職してやることの無くなったおじさんが家にもいられなくて、スーツを着て会社の近くに行って何もせずにうろうろしてから帰ってくる、ようなことになってしまいそうです。

 

 そうならないためには、今から意識改革が必要です。というより、私たちの意識が変わるからこそ、現実の社会制度が変わっていくのだと思います。

 

 巣の中で親を待って口を開けて鳴いている小鳥としてではなく、大空を楽しく飛び回っている自由な自分の姿を想像しましょう。