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元SKE48矢方美紀 乳がんで左乳房全摘も前向きになれた理由

女性自身

「私があまりに明るく病気のことを話すので『すごいね』と言われますけど、私を見てみなさんが前向きになっていただけたらいいなと思います」

乳がんのため、左乳房全摘とリンパ節切除の手術を受けたことを4月13日、自身のブログで公表した、元SKE48でタレントの矢方美紀(25)。4月2日に無事、手術を終え、仕事を再開したばかりの矢方が、乳がん発覚からの激動の日々を明かした――。

「きっかけは、昨年12月。テレビで乳がんの特集を見て、自分もチェックしてみたら、左の胸にポコッとした“しこり”があったんです。正直、乳がんというのは小林麻央さんが亡くなった病気ということしか知らなかったので、もっと調べてみようと。麻央さんの報道がなければ、調べようとも思わなかったでしょうね」

決心して病院を訪れたのは、新年間際の昨年末だった。

「病院に行って精密検査を受けると、検査結果は乳がんかどうか“半々”ということでした。年明けにさらに詳しく検査した結果が、“乳がん”だったんです。宣告された瞬間、受け入れられない気持ちが強かった。まさか自分ががんになるとは思ってもいなくて。自覚症状もないし、“本当に私が乳がん?”と」

まさかの“乳がん宣告”を受け入れられず、呆然となった矢方。後日、別の病院で改めて検査すると、リンパ節への転移の可能性も告げられた。当初、受け入れられなかった矢方だが、しだいに闘病に向けて“心の整理”がついていったという。

「先生から『矢方さんと同じように20代で乳がんになってしまう人もいるけど、みなさん前向きですよ』と言われました。そう言われて、手術後の人を待合室などで見かけると、普通に歩いて生活されているんです。その姿を見て、少しずつ受け入れられるようになりました。“病気になってしまったからには治さなきゃいけないんだ”って」

だが“左乳房全摘”を決断するまでには、25歳の未婚女性として心は大きく揺れ動いた。

「手術なしで治療をする方法もあったのですが、年齢が若く、再発率や将来を考えると『全部、取ったほうがいい』ということになりました。自分では“全部なくなるのは嫌だ!”という気持ちがありました。それでも“全摘”を決断したのは、取っても“再建”できることを知ったのと、“全摘”しても多くの方が前向きにされていることを知ったから。私は今後の人生のほうが長いので、リンパ節を含む悪い部分を“取ってから作る”ほうが納得できると思いました」

手術を前に病院通いをしながら仕事を続けていた日々は、孤独で重苦しいものだった。

「家に帰って1人になると、落ち込んでいましたし、寝る前には泣いていました。お風呂に入って自分の胸を見て“これがなくなるの?”って……。毎日、“なんでこうなってしまったの?!”と悲しくて。診断から手術までの3カ月が、いちばん辛かった」

そして4月2日、矢方は4時間にもわたる手術に臨んだ。

「手術が終わり、初めて胸を見たとき“ない!”って。今まで見てきた景色と違っていました。やっぱり、“あるものがない”という違和感が……。思った以上に傷が大きかったのも、とてもショックでした」

10日間の入院中、リンパ節切除の影響で手が上がらなかったり、痛みもあった。が、術後の身だからこそわかる、新たな“気づき”が――。

「病室から楽しそうにお花見している人たちを見ていたら、“普通って素敵だな”と思いました。また、入院しているみなさんが、生きるために本当に一生懸命に立ち向かっている。その姿を見ていて、私は胸がなくなったけど“生きる”という大きな目標へ前向きに頑張れる!と思えたんです」

手術から1カ月あまり。晴れて芸能活動も再開したが、今後も長期間の治療を続けねばならない。

「これからのことですか……。私、結婚できるかな。胸もないし、病気とつきあってかないといけないし。でも、こんな私を通じて、がんが決して他人事じゃないと女性たちに気付いてもらえたら嬉しい。がんに立ち向かう私の存在が、少しでも“希望”になれたらいいなと思います」

25歳の女性には重すぎる試練を経験した、矢方。それでも前だけを見つめて歩き出した姿は、まぶしいほど輝いている。